【書評】愛とは、怖れを手ばなすこと

愛とは、怖れを手ばなすこと

読書会の課題本で出会った本

ほぼビジネス本しか読まない私がマツモトヨシヒコ氏の読書会の課題本で出会った本「愛とは、怖れを手ばなすこと」。

今では一般的に普通に使われる「愛」という言葉ですが、私の幼い頃「愛」という言葉は恥ずかしくて使えなかった。

課題は第一章を読んで参加するとのことだった。当日、Zoomでマツモト氏と繋がって、指定されたページの章を朗読した。

読んでみて感じたことを述べた。マツモト氏と私の感想は違ったが、共通点もあった。視点が面白いと思った。

現実はいつでも選択できる
私たちは自分自身の現実を選ぶことができます。私たちの意思は自由ですから、真実を見て、経験することを選択できます。自分の現実における真実を、愛として経験することができるのです。

私はこの節を読んでいる時に、幼少の頃をふと思い出した。当時青春ドラマが全盛期だった。村野武範主演の「飛び出せ青春」や森田健作主演の「おれは男だ!」が大好きで毎回逃さず観ていた。

保守的な両親は、私が何かで一番になるよりも、普通で平凡な人生の方が幸せだと言っていた。

私はそんな両親の考え方が嫌いだった。私はドラマの主人公のように努力すれば、できないこともできるようになる。夢は実現できると信じていた。早く大人になって一人暮らしをして、自分の力で自分の可能性を磨きたいと思っていた。早く一人前になったと認めてもらいたかった。

高校を卒業後、大学進学せずに大阪の小さな商社へ就職した。それからいろいろな職業や人生経験を積んだ。楽しいことも辛いこともたくさん経験した。今ではその経験の全てが財産だと思える。両親の考えや思いも今では理解できるような気がする。愛情いっぱい育ててもらったんだと今更だが気づいた。母はすでに他界したが、父には親孝行をしたいと常々考えるようになった。

読書会を通して、本を通して、過去の振り替りができた。また、普段の自分では読まなかった本から新しい価値観や自分以外の価値観、考え方を共有できることは素敵なことだと思った。愛について、今一度考えたいと思った。

目次

  • レッスン1 私が与えるものはすべて、私自身に与えている
  • レッスン2 ゆるしは幸せにいたる鍵である
  • レッスン3 私の心の動揺は私が考える理由によるものではない
  • レッスン4 私はものごとをちがった目で見ると心に決めている
  • レッスン5 攻撃の思いを手ばなせば、私の見る世界から脱出することができる

所感

目の前起こっている現実は、すべて自分自身で作り出されている。目の前で起こって事象は事実。自身の解釈フィルターを通してみている現実は事実ではなく、解釈によって作り出された空想である。

中学生の頃を思い出した。学校に行って友達と昨日みたテレビの話をするのが楽しみな時は、クラスの風景が明るくピカピカしたように見えた。しかし、友達とケンカして、友達と顔を合わすのが気まずい時は、曇って暗い風景に見えた。顔も俯き加減だった。

愛とは、怖れを手ばなすこと
愛とは、怖れを手ばなすこと

やすらぎとゆるしの原則

  • 3、私たちはゆるしを通して、他者を裁くのをやめ、また、自分の含めた誰もを罪がない存在としてみられるようになる。
  • 4、裁くのをやめ、過去を未来に投影するのをやめ、今というときの中にのみ生きるとき、私たちは恐れを手ばなすことができる。
  • 5、私たちは、内なる直観の声からの指示を受け入れることを学ぶことができる。それは本当に知ることへの道案内である。
  • 6、内なる声は人生の方向性を示すだけでなく、必要なことを達成すること手段を与えてくれる。
  • 7、私たちには、自分が何を考え、どんなふうに感じるのかを決める選択権がある。
  • 8、私たちは心の再訓練を通して、ポジティブで活発な想像力を使えるようになる。そのような想像力を使うと、ポジティブで愛のこもった映画を心の中でつくれるようになる。

私は30歳まで自分を受け入れず自己否定だった。私を否定していた人を見返すことだけがモチベーションだった。誰よりも努力して、誰よりも行動して、誰よりも成果を上げることに躍起だった。そんなあるセミナーに参加した時、ありのままの自分でいい。完璧でなくてもいい。ダメな自分も受け入れるられるようにになった。この本を読んで当時のことを思い出した。

この本の「自己変容のレッスン」を実践して、もっと自分らしく、やすらぎとゆるしの人生を歩みたいを思った。

マツモトさん、素敵な本と出会わせてくれて、ありがとうございました。感謝します。また参加したいと思っています。これからもよろしくお願いします。→ マツモトさんの読書会はこちら